ここ最近はお袋殿の介護もあり、思うように外出できません。
本を読んだり、次の街宣活動の準備(チラシやプラカード作成)をしていますが、自然と考える時間が多くなり、様々な氣付きを得ることもできました。
少し自分の思考を整理して、形に残しておこうと思います。
欲とは?
欲、欲望、欲求・・・これらに大差はなく同じ言葉と考えます。
人間の欲は果てしない。ご飯を食べても時間が経てばお腹は空き、次を食べたくなります。性欲も同じと思いますが、配慮して詳しく書きません(笑)。
ちなみに私は、睡眠欲までを合わせて「三大欲求」とする考えには反対です。睡眠は心身を休ませるための生理現象であり、欲ではないと考えます。
欲を我慢して生きるのは苦痛であり、苦痛を好む人は普通いません。ある程度は欲に忠実に生きるのが普通で、決して悪いことではありません。欲を満たそうと行動するのは、生きることそのものでしょう。欲がなくては行動できないし、それを満たすことで充足感を得られるのは幸せなことです。
もちろん、程度を超えて欲に忠実になってしまうと、様々な問題を抱えることになるので、そのバランスをとるのに苦心する人は多いでしょう。
この記事では、私なりのバランスのとり方をお伝えしたいと思います。
欲の対義語
欲、欲望、欲求の対義語は、検索しても見付からないでしょう。人間の対義語が無いのと同じで、欲はあって当然のもの、良くも悪くもありません。無欲の対義語は強欲・貪欲なので、欲⇔無欲ではありません。
私は「欲⇔感謝」と考えます。
もっとも、感謝の対義語は怨嗟(恨み嘆くこと)なので、私の考えは不完全なマイルールなのですが(笑)。
感謝の素晴らしさ
食を例にお話しします。
ご飯、味噌汁、漬物だけの粗食だったとします。
私は、お米、お野菜などを作ってくれた農家の人、大地、太陽、水への感謝から始まります。収穫したものを運搬してくれる人、販売してくれる人への感謝が足されます。
誰かが食事を作ってくれるなら、食材を買いに行って料理をしてくれる人、お店ならば働いている人への感謝が足されます。
これらの何かが欠けたら、私は食べられません。生きられません。
感謝、感謝、大感謝の世界なんです。
お肉やお魚が食卓に上がると、もっと大変です(笑)。
命を捧げてくれている動物たちへの感謝、動物たちの食べてきたご飯(餌)を作ってくれた人たちへの感謝・・・際限がありません。
そこまでの有難みを感じて「いただきます」を唱える人は、現代の日本ではほとんどいないと思います。
お金を出して食べる権利を得た…じゃないんです。そこには感謝はない、当然のことだと思い込んでいる…私の考えとは合いません。
食べ終わって「ああ、美味しかった!」と言う方も多いと思います。そりゃ、美味しかったでしょうよ?多くの人・モノの成果をいただいたのですから。
けれど、美味しかったという言葉には、自分の欲を満たせて幸せという意味しか感じられません。そこに感謝はあるのでしょうか?
私は周囲の人たちがいろいろ良くしてくれて、そのお陰で今日も生きることが出来る…その奇跡に感謝して生きています。
足るを知る
欲の強い人ほど、足るを知らずに生きています。どれだけ多くの人・モノから助けられているかあまり考えず、感謝も少なく、欲の世界に生きています。
他人がその生き方するのを否定しないですが、私は感謝して「足るを知って」生きたいと思うに至りました。
強欲・貪欲であればあるほど、欲を満たすことを当然のように感じ、次々に欲するようになり、反比例するように感謝の心は減るでしょう。
粗食が1日1・2回であっても、最大限の感謝を持てれば満足感は増えるところが面白いです♪
・欲を満たすために大量消費して得られる満足感
・粗食に最大限の感謝をして得られる満足感
前者は欲が中心であり、後者は感謝が中心…私に多幸感をもたらすのは、圧倒的に後者なのです。
「空腹→食事」は洗脳?
朝起きたらご飯を食べる、それが消化されてお腹が空いたらすぐ食べる(一日三食)のは、果たして良いことなのでしょうか?
空腹感を覚えて食事をすれば、確かに幸せを感じられますが…同時に眠気がやってきます。その後は頭の働きも鈍くなり、本来持っている力を発揮できなくなります。
また、人間ずっと働きっぱなしでは壊れてしまうから土日などに休むように、臓器も働きっぱなしでは具合が悪くなります。一日の食事は6~8時間以内に済ませ、体を休ませてあげることが健康に良いという考え方もあります。
空腹=食事と安易に考えずに、空腹時に集中力を発揮して何かをしてみると新しい発見があるかもしれません!?少なくとも私は、そのお陰で1日1・2食の生活に慣れることができました。もっとも・・・酒好きの私は、食べない時間には飲んで誤魔化してたという不届き者なんですが(笑)。
何故空腹感がやってくるのか?
それは、食事をした後に消化が完了するからです。
ならば、食べても食べなくても結果は同じではありませんか?
食べるからお腹が空くなら、食べなくても良いのです(笑)。
幸せに生きる
このような感謝の心で生きていると、馴染のお店でお買い物をする時などにも、お店の人にたくさんの感謝の言葉が自然と出ます♪
すると不思議なもので…
店員さんも私に優しく接して下さることが増えました。
笑顔で語り掛けられる回数が増えたと実感しています。
私、幸せです♪
オマケ
こんな話をすると、よく言われます。
「仙人になりたいの?」
いえ(笑)、私は仙人がどういうものか知りません。知らない以上目指しようもありません。今の私の生き方が仙人的であるという指摘は、有難く受け止めたいです。
そもそも仙人になれるなんて思っていません。
まだまだ欲深いのです。
普段食べないのに、突然どうしてもラーメンが食べたくなり、深夜営業している店に行くこともあります(笑)。しかし、そこに微妙に罪悪感や後悔の念があります。
「この一食は不要だったな…」
「もっと自分をコントロールして生きたい」
反省すること多々多々です。
まぁ、仙人というのは「人」が付いているので、失敗もする不完全な存在なのでしょうし、それなら私にもなれるのかな?とは思うのですが(笑)
長文お読みいただき、ありがとうございました。