近況報告
3度の飯より社会活動が好きな私ですが(笑)、3月22日(火)の活動を最後に、街宣および選挙応援など全ての活動を休止しています。
2週間ほど前ですが、母が腰の圧迫骨折となり、自力で行動することが極めて難しく、介護が必要な状況になりました。
母が口にする希望は老人ホームでの生活だったので、試しにショートステイで入所させてみましたが、たったの一日で帰宅を希望し即日連れて戻りました。元氣だった頃に老人ホーム見学を嫌がり、一度も現実を直視しなかった母です。老人ホームを桃源郷か何かと勘違いしていたのでしょう。
世の中には両親や祖父母の老後の面倒を見るのを嫌がり、強制的に入所させてしまう親族もいるそうです。聞いた話では・・・
「車椅子でも行ける旅行が当たったよ!」
と騙して入所させてしまうケースもあるとか(笑)。
私が母と仲良くするのは難しく、自宅で介護をしていても距離を空けた付き合いになりますが、そんな私でも母を老人ホームや病院に強制的に送り込もうとは思いません。
厄介な?母
厄介なのは、後ろ向きな発言が大半を占めることです。病気や怪我でそうなっているのとは違って元々の性格です。
元氣な頃も、自分の好きな事の為に出掛けて、帰宅時に
「おかえりなさい!楽しかった?」
と聞いても、
「もう、疲れた!必死に歩いて大変だった。死に物狂いで歩いた」
と返されるのが普通でした。これに対してまともに返したら、後ろ向きな言葉しか出ません(笑)。聞き流すしかないのです。
今、行動力を失った母に対して、私なりに良かれと思うことをいろいろ提案していますが、何を言っても嫌がります。「じゃぁ何がしたいの?」と聞くと「わからない」と。
私はワガママな人はむしろ好きです。願いを叶えてあげたい。けれど、
「アレも嫌、コレも嫌、全部嫌」
は心底困ります。勝手にしてもらうしかありません。母とは、距離を空けて付き合うしかないのです。
母はまだ、自力でトイレに行くことはできます。
起きられたタイミングで空腹を聞き、食事を用意しています。
「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」などは皆無です。そういう言葉を言えない人と容認しているので腹は立ちませんが、それ以上近付きたいとは思えません。
それでも、私という存在をこの世に産み出して下さったことに深く感謝しています。だから、出来る限り自宅で面倒を見ようと決めました。
気付いたこと
最近の母の口癖です。
「長生きした私が悪いんだ。早く死にたいよ。」
と言いながらも、
「これからどうしたらいいんだろう…」
発言は全てネガティブですが、母には死ぬ気が全くありません(笑)。
ここ2週間ほど毎日、後ろ向きな言葉を聞き続けてきて、気付いたことがありました。
ここまでネガティブな母でも死ぬ気が無いというのに、多くの若者たちは自殺を選択しているという現実!
・死にたいと毎日言い続けながらも、死ぬ気の無い母
・死にたいという言葉すら残さずに、アッサリと自殺する若者たち
私が助けなければならないのはどちらでしょうか?
これはもはや、計算や割り切りの世界です(笑)。
今後の活動
現在、トイレや風呂に行く手伝い、食事の準備以外に私が自宅にいても、それ以上は母の力になれそうにありません。
自宅に籠りっぱなしだと運動不足にもなり、私が健康を害します。精神的にはまだ平気ですが、やりたいことを充分に行えない生活は非常に退屈で、このままでは私の気持ちも悪い方に傾きかねません。
っというわけで、
街宣活動を再開することにしました!
自宅から遠く離れたところに移動するわけにはいきません。家を離れて良い時間は3時間程度、活動場所は草加市内か北千住駅までの東武線沿線となるでしょう。また、母を優先するため、予定を告知することはできません。
若者たちを自殺させたくないという思いで、新しいプラカードを2つ作りました。
以前から行おうと決めていた精神医療、精神薬に関する内容です。
というわけで、これからもできることを積み重ねていきます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
追記
私のブログ記事を読んで、母親に冷たい男という印象を受けた方が多かったかもしれません。しかし、今日あった出来事を考えて、私の対応に間違いはないことを確信できました。
6日(木)は、母をお年寄りの集まる場所に連れて行きました。そこの責任者の方とお話しして事情を説明しましたが、母の普段の傍若無人ぶりを聞くことになりました(笑)。
みんなで一緒に歌を唄っている時に突然、
「私はそういう歌は唄わない!私はこう・・・!」
とお得意のクラシックを唄い出したり、
周囲の話を聞かずに、突然戦争体験を話し出したりしていたそうです。
その責任者の方と私は話が通じました。
できれば、その方の息子に生まれたかったと伝えたところ(笑)、
「ご家族はいつも大変だろうな、と思ってました」
と、ご同情いただきました。
「一生懸命がんばってきた自分を認めてほしい母なのです。本来ならば、他人のがんばりを認めてあげる立場なのですが…」
これにも、完全に同意していただけました。
私とその責任者の方がまともに話したのは初めてのことです。ここまで見解が一致するとは思っていませんでした。
私は自分の感覚を信じて、母に接していこうと思いました。
追記2
責任者の方と社会福祉協議会の担当者が話し合いをして下さった結果、母は出禁という判断が下されたという連絡が入りました。
当然のことと思います、
誰も恨みません。
私、とっても重いものを抱えて生きていたんだと改めて実感しました。
それでも老人ホームなどに極力頼らずに、産み育てて下さった恩を返していこうと思っています。