いわねさとしの活動報告ブログ

コロナ騒動の真相、マスクの有害さ、ワクチンの危険性を伝え続けていきます!

イラスト「それぞれのキャパシティ」について

ツイッターで見付けた一枚のイラストに、私はとても考えさせられました。素晴らしい作品であり、多くの人に共有してしていただきたいと思い、ブログ記事として残します。

 

作者紹介

まずは、漫画家・イラストレーターの夏ノ瀬いのさんに感謝をお伝えしたいです。ありがとうございました。

 

ネット検索してみると、ブログやツイッターなどで多くの人が話題にしていることがわかりました。この作品を見てどのように感じるかは人それぞれでしょう。特に何も感じない人がいても、もちろんおかしくありません。

私がこの記事を書いたのは、作者である夏ノ瀬さんは、この作品を見た人の感想の全てを理解することは、今はまだ難しいだろうと感じたからです。少し皮肉を込めて言うと、夏ノ瀬さんの「キャパシティ」には限りがあるからです。

もちろん、私のキャパシティにも限りがあり、私の解釈の正当性を主張するつもりはありません。

 

夏ノ瀬いのさんのコメントはたった一言

「泣いて叫ばな、気付いて貰えん。」

 

この時点で・・・私の感じたものとはかなり大きな隔たりがありました。

この記事では、ネット上に流れている解釈も紹介しながら、私の思うことをお伝えしたいと思います。

 

ネット上の様々な解釈

作者に近いもの

「人それぞれのキャパシティがある、自分のキャパを把握して・・・」という内容でビジネスに結び付ける記事もありました。

 

そして、作者と近い考え方をする人のブログもありました。

note.com

leilan.blog.fc2.com

 

私の感じ方に近いもの

私とは微妙に違いますが、多少似た感覚もありました。

mein-wunsch85.amebaownd.com

 

自由奔放な掲示

一昔前で言う「2チャンネル」のような掲示板には、様々な見解が残されています。

mamastar.jp

 

私の見解

「1本の矢で泣き出す人もいれば、20本の矢を受けても平気な人がいる、だからキャパは人それぞれ」

「痛い時はちゃんと伝えないと誰も助けてくれない。感覚が鈍化するといくらでも矢を受けて、誰からも助けてもらえない」

・・・確かにその通りです。そういう見方があることは理解できます。

 

ですが、ちょっと待って下さい。

もっと多くの疑問が浮かび上がります。

 

陰になっている左の女の子たちは一本の矢すら受けていません。ただ心配しているだけです。20本もの矢を受けている一番辛いはずの右の女の子が積極的に助けようとしています。また、この絵の誰からも、20本の矢は見えません。

 

このイラストは、とても深いんです・・・。

 

1本の矢を受けた痛みって、誰にとっても耐えがたいものではありませんか?痛みに鈍感なら20本の矢を受けても平気?

いや普通に・・・1本でも充分痛いに決まっているでしょう!

 

このイラスト「それぞれのキャパシティ」は、登場人物のキャパシティを見てもらうことが目的で描かれているかもしれませんが、見る側のキャパシティが問われているように私には思われるのです。

 

矢とは何なのか?武器としての矢ではないことは明らかです。

生きる上で抱えている悩み、苦痛の類でしょう。場合によっては自殺願望を強く持ってしまうような本当に辛いもの。鈍感だから苦痛に耐えられるというのは、私には浅はかな考えに思われるのです。

 

人間誰でも、生きる上で様々な苦痛を味わいます。左の女の子たちのような未経験の人もたくさんいるでしょう。でも、そういう人たちもいつかは真ん中の女の子になります。

些細なことなら泣き出さずに生き続けることができる。限度(キャパ)を超えた時に、真ん中の女の子のように崩れてしまうのです。鈍感(キャパが広い?)に思われる人だって、限度を超えたら崩れるのは当たり前です。

右の女の子は、鈍感だから20本の矢を受けても平然と他人を助けているのではありません。痛みを乗り越えることでキャパシティを大きく広げてきたのです。

 

もし右の女の子が単なる「鈍感」だったのなら、20本の矢を立てたまま素通りするのではありませんか?

 

「苦痛に敏感で、それでも乗り越えてきた(キャパを広げてきた)。だから同じように痛い思いをしている人の気持ちが自分のことのようにわかる。だから、誰よりも率先して真ん中の女の子を助けている。」

としか、私には感じられませんでした。それが私のキャパシティです。

 

この考え方は・・・

「私は大変な人生を歩んできた、でも今は笑顔で生きている。だからあなたも大丈夫!」

昨年12月に亡くなった、先輩活動家・河嶋暁久さんのお気持ちそのものです。

河嶋さん・・・私、間違っていませんよね?

河嶋さんの追悼記事は、こちらからご覧いただけます。

sa1041wane.hatenadiary.com

 

あなたはどの子?

あなたは、このイラストの中ではどの女の子でしょうか?

 

実はこの質問すら、単純な話に収まりません。本当に深いんです・・・。

職場、学校、交友関係、夫婦や親子間の家庭問題・・・全ての場面で立場が変わってしまうこともあるからです。

 

職場や学校ならば、パワハラやイジメを想像するとわかりやすいかもしれません。対人関係ならば、右の女の子がいなくて、左の女の子たちは歩き去ってしまう場面があるかもしれません。育児では、右の女の子がいないで真ん中の女の子状態になって悩んでいる親御さんだっているかもしれません。

 

生きるとは必ずしも喜びばかりではありません。限度を超えた苦痛は、人生の中で何度もやってきます。年齢を重ねればたくさん経験するとも限りません。

痛い思いをたくさんすると、痛みに慣れることはある程度できます。「今までに受けた心の傷に比べたら、この程度は大丈夫!」と思えるようになります。キャパシティを広げることができます。

 

このイラスト見て、多くの人が「優しさ」の意味を考えてくれることが私の願いです。また、「優しい人」が何故優しいのか、併せて考えていただけたら嬉しいです。

 

おまけ

私などよりはるかにキャパの広い人たちは、このイラストの外側を考えるようです(笑)。

 

「矢を射ている人を捕まえたり、矢を射る前に折りに行く!」という人もいました。素晴らしいですね!

 

でも…考えてみれば、私の行っている社会活動もそういう面が強くありました。ワクチンを打たれて苦痛を味わう人を減らしたいからこそ、ワクチンを止める活動を行ってきたのですし・・・。

 

それぞれのキャパシティ・・・

人それぞれでもあるし、人生のどの時点か?という点でもそれぞれです。苦痛を乗り越えてキャパを広げる人がいれば、乗り越えられずにキャパが狭くなる人もいると思いました。

 

私はもちろん!

際限なくどこまでも、キャパを広げて生きたいと思っています。

 

長い記事をお読み下さり、ありがとうございました。